ライフのログ
「ライフログ」という言葉がだいぶ一般に浸透してきた昨今。
……だと思うのですが、ライフログをどう作っていけばいいのかが、わたしにはいまだにピンときてません。
「ライフログになるような日記を書こう!」という心構えがすでに少し方向性を誤っているような気がしてしまう。
「こういう感じのものを残そう」と意図して残すものが、果たしてライフログというナチュラルなものになりうるであろうか。
考えすぎですか。
なんか、あんまりきれいな形に整えて残すライフログって、意識的であれ無意識下であれ、何かを取捨選択しているような気がしてしかたがない。
かつてはTwitterやInstagramをライフログのようにできたらとも考えてたけど、これはちょっと違うなと思って考えを変えた。やっぱり人に見せることを考えると、微妙にズレてくる。
本当のライフログって、立派できれいなものばかり残すものじゃないんじゃないか。自然に残る足跡みたいなものの方が、より本物に近いライフのログになるんじゃないか。
とかなんとか悩んでいるので、いまだ
「これがライフログです!」
という、まとまった形にはできていません。
手帳に書き置いた、たまたまちょっと気になった言葉。
書くことがない日に日記帳に書いたひとこと。
スクラップブックに貼りつけた、大して面白くもなかった映画の半券。
そんなのを一ヶ所にまとめられたらいいんだろうけど、分散していてひとつにまとまりません。
わたしにとっては、HB×WA5につけている駄日記が、書いてる分量が一番多いし、人に見せることを意識せずかなり本音で書いてるので、ライフログに近いものになりそう。
ただし、能率手帳やフランクリンプランナー(過去の)にも分身がいっぱいいる感じ。
きっとこれからも、まとまった形にはならないんだろうなと思います。