茶房日誌

烏龍の日記。Instagram ID: @oolongchai

フランクリンプランナーをやめました

順調に使っているかと思いきや、7ヶ月を過ぎたあたりで突然「やめよう」となってしまいました。
またご縁があれば使うかもしれないけど、どうなるかわかりません。

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エニグママニア(2) 紛失と発見

失せ物がやたらと多いわたしにとって、特に興味のある不思議話ジャンルのひとつが、

「なくしたものがありえないところから出てきた」

という類の話です。


この話は、その手のサイトでは、結構数多く見られます。

「旅行先で捨てたはずのものが、帰宅後の自分の机の上に載っていた」
「キッチン鋏が紛失していたが、ある日何か食品の袋を開封しようと思った時、なぜか右手にそのキッチン鋏を持っていた」
「子供の頃になくしたおもちゃが、数年後、県外の引越し先の近所で見つかった」
などなど。


実は、エニグマ体験をしたことがほとんどないわたしが、唯一体験したのが、このジャンルなのです。
以下体験談。

2年くらい前、会社で、席替えがありました。
わたしは、今まで使っていた机ごと移動させたので、ついでに机上を片づけるなどもしました。

気がついたら、PCに挿しっぱなしにしていたUSBメモリの蓋がありません。
片づけたばかりでスッキリした机上をくまなく探しました。立ててある辞書や書類やファイルの下、電話機の下……引き出しの中(入れた憶えはないけど)も見たし、下に落としたかもと思って、机の半径1.5メートルの床も探しましたが、落ちてもいません。

しかたがないので、USBメモリをPCから抜いて、蓋をしないまま、机の引き出しに入れました。
納得いかないし、蓋のないUSBメモリはなんだか心細い感じです。


翌朝、出勤して、引き出しを開けた時、当然のことながら、蓋のない無防備USBメモリが目に入りました。
ああそうだった、蓋がなくなっちゃったんだっけ……と思い出し、少し落ち込みながらそれを取り出しました。

で、PCに挿そうとしましたが、ふと、「これを使う作業は後にして、他のことを先にやろう」と思い立ちました。

そして、PCに挿しかけたUSBメモリに、左手で蓋を閉めて、机の上に置いたのです。

……えっ?

と、自分でも思いました。

今、蓋を閉めたよな?
目の前に、蓋を閉めたUSBメモリがあります。

昨日蓋をなくして、探したけど見つからなくて、蓋がないまま引き出しに入れたよな?
一夜明けて、今朝もやっぱり蓋をしてない状態を確認したよな?確認した後、探す行為すらしてないよな?
なくしてから一晩経ってるんだから、実は左手にずっと握っていたというギャグみたいなオチもありえない。


いつの間にか左手に蓋を持っていて、無意識にパチンと閉めたけど。
あの蓋はどこから出した?
どこからも出してない。

いくら考えてもわかりません。
左手に突然、蓋が湧いて出たとしか思えません。

キッチン鋏の話と似ていると思います。


探し物は、見つけてやろう見つけてやろうと躍起になっていると見つからず、あきらめるとなぜか出てくる、という俗説もあります。
だとしても、この出てき方はどうなんだ?
まあ、見つかったから文句はないんだけど……あまりにも不思議すぎました。


わたしには他にもたくさん失せ物があるんですが、他の失せ物はなかなか出て来てくれません。

エニグママニア(1) 有名人死亡の記憶

怖い話より不思議な話が好き。
心霊話には興味ないけど、謎な話には興味シンシン。

そんなわけで、怖い話まとめブログや洒落怖やエニグマまとめブログなどを愛読しています。


不思議な話にもいろんな種類があります。

一例をあげると、「有名人死亡の記憶」。

わたしはなぜか志茂田景樹がすでに亡くなっていると思い込んでいました。ニュースか何かで聞いたような気がしてたんでしょう。
だから、ツイッタで志茂田景樹を名乗るアカウントを見た時、botかなりきりだと思いました。
プロフィールを見ても、botともなりきりとも書いてなくて、「プロフィールでまで完全に本人になりきられると、偽物だってわからないじゃん……まあすでに死んでることはみんな知ってるから気にしないのか」などと思っていました。


しばらくその「自称」志茂田景樹アカウントを追っていると、ある日、そのアカウントが、「本を出した」とツイートしていました。
偽物が出版!?しかも、ずいぶんリアルっぽい宣伝で、「アマゾンでも取り扱いを始めました」だと。

あまりにもおかしいと思ったので、アマゾンでその本を検索してみました。
著者:志茂田景樹
とあります。

ここでようやく真実を確認しようと思いたち、結果、「志茂田景樹氏が存命である」という事実をつきとめました。


妹にこの話をしたところ、妹は、同じように宮尾すすむが死んだと思いこんでいたことがあるそうです。


これが単に、わたしや妹がひとりで勘違いしていただけであれば、別に問題ではありません。

不思議なのは、まったく同じ勘違いをしている人が何人もいることなのです。

宮尾すすむ 死亡」「志茂田景樹 死亡」「小林亜星 死亡」
あたりで検索すると、類似体験談が多数出てきます。

中には、「自分は宮尾すすむの葬儀のニュースをテレビで見た。弔辞を読んでいたのも見た」と言う人もいます。


この手の話は、そっち系のサイトやブログでは、

「実は、過去は書き替えられている」
「時々、記憶の書き替えに齟齬が生じることがあるようだ」

といった論調で語られています。


実際にそんなことがあるのかどうか、書き替えなどあるとしたらいったい誰が書き替えているのか。
それは誰にもわかりません。

ただ、事実として、「記憶内容が他人と合わない」、「合わないけれども、同じ記憶を持っている人も一定数いる」という事象が存在しているわけです。


エニグマ系で読んだところ、他に、「事故に遭って入院した記憶が自分および家族にあるのに、入院した事実の記録がどこにもない」という話もあります。
人の記憶はアテにならないものだ、と、記憶障害気味の自分は思うのですが、それにしたって複数の人がおかしな記憶を共有しているというのは不思議ですよね。