宇宙手帳

広く日常。

小説の書き方・追記

前の記事で、三人称視点について書きましたが、もちろん、一人称視点・二人称視点も存在します。
一人称視点は比較的ポピュラーですが、二人称視点の小説というのは少ないと思います。


わたしの好きな小説のひとつ『花を運ぶ妹』(池澤夏樹)では、約半分のパートが二人称で書かれています。残りの半分は一人称。



二人称で書かれている部分(哲郎パート)は、時間と出来事がかなり前後していて、ほとんどが回想。
哲郎本人がやや正常でないことが多い状態なので、もし哲郎パートだけだと、読んでいてワケが分からなくなると思います。

一人称で書かれている部分(カヲルパート)は、時間順に書かれています。しっかりもののカヲルの視点なので、話がわかりやすい。



哲郎パートとカヲルパートが交互になっているので、読者は迷子にならず、安心して話に入り込めます。
哲郎の快楽と悪夢が交錯する二人称パートと、物語を着実に進めてゆくカヲルの一人称パート、という構成の巧みさ。うまいなあ。




なぜ作者は、二人称というやや特殊な視点を採用したのか。
哲郎のことを「おまえ」として書かれているので、読者は自分が哲郎になったような錯覚を覚えます。
「おまえはこうしてヘロインの常習者となった」というような調子で書かれるので、嫌でも物語世界に組み込まれてしまう感じです。とても鬱。
それを救ってくれるのが、交互に現れるカヲルパートですね。



こうしてみるとやっぱり二人称視点というのは特殊で上級者向けなのかなと思います。
そして、初心者が単独で長編小説に使うのは現実的ではなさそう。



『花を運ぶ妹』は、バリ島東南アジアが好きな人に特におすすめですが、小説の勉強にもとてもいいお手本になるのではないかなと思います。