宇宙手帳

広く日常。

【読書感想文】東野圭吾と恩田陸

二者を比較しようという意図はまったくなかったのですが、最近この二人を続けて読んだので。


今年の初め頃、「殺しの話で何かいいのないかなあ」と思った時、SNSで評判のいい東野圭吾が真っ先に思いついて、何冊か読みました。
その後、何かのきっかけ(忘れてしまいましたが)で、恩田陸を2冊ほど読みました。


東野圭吾推理小説は、隙なく組み立てられたストーリーと、そこに見え隠れする人間心理が魅力。この作家は頭いいんだなあといつも思います。

でも、なぜか東野作品を読んだ後って、妙に疲労感が残るのです。
その理由について、「ストーリーが重いからじゃないか」と言う人もいましたが、わたしはちょっと違うと思う。

たぶん、東野圭吾の文章そのものがそういう性質だからじゃないかなと。

安心して読めるんだけど、なんだか早足で目的地まで一気に連れて行かれる感じ。疑問点はすべて説明され、「ハイ、終わり。全部解決しましたよ」と言われるような読後感。
読者も「終わったァー」という気持ちにはなるものの、一気に駆け抜けた……駆け抜けさせられた感触が残る。

長い説明を懇切丁寧に聴かされた時の、納得感と疲労感に似ている。


で、ちょっと疲れたから他の作家でも読もう、と手を伸ばしたのがたまたま恩田陸

この作者は、アマゾンのレビューなど見ると、「読んでいる途中は面白いのにオチが弱くてガッカリする」「結局あれは何だったのか?という疑問が残る」といった趣旨の内容が多いです。
たぶん、モヤッとした余韻を(わざと)残すタイプの作家なのでしょう。

最初に読んだ『六番目の小夜子』は、確かにそういう感じで、「ちょっとオカルトを絡めたいのかなあ」という点で気が散った、というのはありました。

次に、一番最近読んだのが『木曜組曲』。
4年前に亡くなった大物作家をしのんで、5人の物書きが集まって話をする……という筋書き。

4年目にしていくつもの秘密が明かされ、様々な推理と臆測と妄想が飛び交い、だが物証・確証はない。
大物作家の死は、自殺か他殺か、或いは事故か……。

結局、決定打はない。最後の人物による独白も、これが必ずしも真実とも限らない。
もしかしたら、こうやって残った人たちの間に混乱をもたらすように、大物作家はわざといろんな伏線をあの家に残して、自殺したのかもしれない。
結論なし。


というような話ですが、実際、「誰がこうやって殺しました」と明確に細部まで明らかになる殺人事件ばかりではないし、犯人が捕まってとっくに終わったと思われている事件でも「あれは実は冤罪なんだよ」と言われるものもあるし。

真実なんて、全部が明るみに出ない方が普通なのかもしれない。


と思っているので、なんかこのもやもやした読後感が結構リアルで、読んだ後もいろいろ考えちゃって、なんかいい感じなのです。
東野圭吾を読んだ後の疲労感は、恩田陸を読んだ後はありません。


こうして「東野作品は疲れる!」ばっかり言ってると、東野が嫌いなのかと思われそうですが、そうではありません。東野圭吾すごく読み応えがあるし、スッキリします。
他の作品も全部読んでみたいと思ってます。
疲れが取れてから。


そんなわけでしばらくは恩田陸を読みたい心境です。

今年はホントたくさん読んでいるなあ。
らしくない。