宇宙手帳

広く日常。

「上手くなりたい」の罠

某エッセイコンテストの授賞式の席で、ある作家先生が受賞者に、「みなさん、上手くならないでください。上手くなると文章がつまらなくなってしまいます」とおっしゃいました。
以後、この言葉を肝に銘じて、文章を上手く書こうと努力することはやめました。(わかりやすく書こうとする努力は多少してますが)


「上手くなりたい」。
文章に限らずあらゆる創作ジャンルにおいて、上手くなりたいと思うのは自然なことです。
わたしも、冒頭ではあんなことを言いましたが、あわよくば上手い文章が書けるようになればいいなとまったく思っていないワケでもないです。


「上手くなりたい」と思うことは、すなわち向上心があるということである、と世間では思われています。
だから、「上手くなりたい」と声に出して言うことで、自分には向上心があるんだ!ということを、他人と自分にアピールできるわけです。自分に言い聞かせてる面もあると思う。


でも「向上心」ってそれだけじゃないし、その創作活動をやってる目的は他にもあるでしょう。

「面白いものを作りたい」「誰かを楽しませたい」「誰かをきれいに飾りたい」「悩んでいる人を元気づけたい」などなどいろいろ。


「上手くなりたい」は、実現したとしても、喜ぶのは自分だけ。
まあ趣味の世界って結局自己満足なんですけどね。わたしの数多い趣味も全部そうw


外から見ていると、「上手くなりたい」を呪文のように繰り返しつぶやく人というのは、脱出できない沼みたいなところにハマってしまっているように見えることがあります。なんか痛々しい。
上手くなることだけが目的みたいになってしまうと、もう、その活動をやめるしか、その苦しみの沼から抜け出る方法がない……みたいになってしまう。


「この漫画家、いつまで経っても絵が上手くならないよね」と言われる漫画家もいます。小説家にもそういう人がいます。でも、すごく人気があって、長く愛されてる。
そういう人を見ると、あの授賞式で作家先生が言われたことを思い出します。


「上手くなりたい」という気持ちが膨らみすぎると、制御できなくなってしまう。自分が生み出した感情なのに、自分が振り回されてしまう。
「上手くなりたいなー」という自然で純粋な気持ちを、捨てないまでも、うまく自分の中で収めて上手につきあっていけたら、楽しく創作活動ができるんじゃないかな、と思います。


ともあれ、あまり「上手くなりたい」を声高に叫ばない方がいいんじゃないかなーと個人的には考えています。
何かを創作している人なら、上手くなりたいという気持ちを持っていることは、みんなわかってますから。