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茶房日誌

烏龍の日記。Instagram ID: @oolongchai

不幸な子供

読書

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エドワード・ゴーリーの絵本『不幸な子供』の感想文です。
ゴーリーが苦手な方およびネタバレされたくない未読の方は、「続きを読む」をクリックしないでください。


ゴーリーを読み始めてちょうど2年になります。
今までに読んだのは『おぞましい二人』『ギャシュリークラムのちびっ子たち』『不幸な子供』の3冊です。
中でもお気に入りはこの『不幸な子供』。


ひとことで言うと、小公女の裏バージョン・黒バージョン。
主人公の少女シャーロットがどんどん不幸になっていくのが小公女と違うところ。


ハッピーエンドが見たいわけじゃない

中国の歴史ドラマを観ていると、長い上に鬱展開がひどくて、これでもか!これでもか!と主人公がひどい目に遭うことがよくあります。
それでものすごく虐げられた末に勝利を勝ち取ってハッピーエンド!!ってなるんですけど……ハッピーエンドになるのは(史実だから)わかってるんですけど、それでもその長い長い鬱展開で嫌になって観るのをやめてしまうことがあります。



『不幸な少女』の鬱展開はなぜ平気なのか。否、平気どころかむしろ楽しいのか。

実写でなく絵本だから?スピード展開で全体が短いから?
それも多少はあると思いますが、『不幸な少女』の方は、「ハッピーエンドにする必要はない」という確固たる開き直りがあるから、逆に安心して読めるというのもあります。


ハッピーエンドを盛り上げたいがためにその前提たる不幸を盛りに盛ってる中国史劇とは違い、淡々と不幸を描くことが目的であって盛り上げる必要もない、というのがゴーリーの姿勢です。



天邪鬼な読者は、読者の感情を煽ろうと意図的に盛られれば盛られるほど冷めていきます。
逆にゴーリー式に、読者の感情も作者の感情もおかまいなしに、ただ淡々と静かに事象のみを語られると、どういうわけかグイグイと作品に引き込まれてしまうのです。


ゴーリーはハッピーエンドを書きたい作家ではありません。
なので、読者の方も「ハッピーエンドが見たいわけじゃない。正論が聞きたいわけでもない。読んだ後に『なんだこれ!』と不条理さにガツンとやられたいんだ」という思いがあると、需給の一致というか、「これよこれ!」「こういう不思議な感覚を味わいたくてこれを読んだんだ!」的な爽快感が生まれるのです。


謎の笑いが出る絵本

女の子が不運に巻き込まれ、次から次へと不幸が起こり、ラストまでその調子で突っ走ってしまう。ハッピーエンドになるどころか、不幸のクライマックスで終了。
そんな話なのに、なぜか、終盤で変な笑いが出てしまうのです。
わたしの場合は、「実は生きていたお父様が」のくだりで噴いてしまい、最後までその笑いのテンションをキープしたまま読み終わってしまいました。


こんな不幸な話で笑う自分はおかしいんだろうか。
と思ってアマゾンでこの本のレビューを見てみたら、「笑ってしまった」という人が多数いて、あーよかった自分だけじゃなかった、と安心しました。



作者の意図を考える必要がないという自由

本を読んで、そこから正義に則った明快な結論を求める人には、ゴーリーの絵本は「不快」なだけでしょう。
明快に答えが出ない。それこそがゴーリーの魅力なんだから、明快な答えを求めて読み解こうとすることは野暮なんじゃないでしょうか。


ゴーリーの作品は、結論や答えを得るのを急ぐことなく、読んでる時や読み終わった時の不思議な気持ちを楽しむために読むのが一番だと思います。
そういう読み方もあるんだ、そういう楽しみ方をする作家もあるんだ、というのを理解して読むのが「大人の絵本」を楽しむコツかもしれません。



ただ、いくらそう思って読んでも、(よく言われることですが)ゴーリーは決して万人受けする作家ではありません。
生理的に合わない人もたくさんいると思いますので、合わない人にはごめんなさい。
わたしはゴーリー大好きです。

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